2015/07/29    20:09

「違憲」と騒ぐマスコミの過ち 「憲法9条」は、そもそも議論ではない

マスコミの誤報を検証する「報道検証機構」という団体がこのほど、面白い事実を指摘していた。朝日新聞は6月下旬に行った世論調査で、憲法学者に自衛隊は合憲かどうかを質問していたが、その結果を紙面化しなかったというのだ。代わりに、調査の結果を報じた7月11日の紙面は、安全保障関連法案を違憲と答えた学者が102人と、合憲派(2人)を凌駕したと伝えている。
 

朝日新聞が隠した「大スクープ」

ちなみに、自衛隊が「憲法違反にあたる」「憲法違反の可能性がある」と答えた憲法学者は、合わせて6割ほどだった。しかも、「報道検証機構」によれば、そもそも自衛隊の合憲性についての質問をしたのは、朝日新聞だけだったという。なぜ朝日新聞はこの数字を、堂々と伝えなかったのだろうか。「憲法学者の6割 『自衛隊は違憲』」とでも取り上げれば、大スクープのはずだ。

このことは、今回の法案をめぐる議論がかみ合っていない理由を、端的に表している。

今回の法案については、報道の影響もあって、良識ある憲法学者が「憲法違反」という声をあげ、「戦争法案」を通して海外に自衛隊を送り込もうとする政府の暴走にストップをかけようと、市民とともに立ち上がったというイメージが出来上がっている。もちろん、国民は「今回の法案は憲法9条に違反しているのだろう」と思う。

しかし、安保法案をめぐる議論の焦点は、実は「憲法9条」ではない。
 

議論の焦点は「憲法9条」ではない

そもそも、朝日の調査を持ち出すまでもなく、「戦争の放棄」をうたう憲法9条を素直に読めば、軍隊を持ってはいけないと書いてあると読める。憲法の条文に忠実になれば、今回の法案が違憲かどうかに議論をしぼらず、自衛隊が違憲かどうかまでさかのぼって議論しなければいけないはずである。だが冒頭に紹介した通り、法案に反対の論陣を張っている朝日新聞も、この問題には触れたがらない。

では、問題の核心はどこにあるのだろうか。ここでは、自衛隊が存在している憲法上の根拠を考えてみたい。

そもそも自衛隊が存在しているのは、憲法9条が交戦権や戦力の保持を禁じているとしても、国民の生命や安全を守るための「自衛の措置」は、国際法上の「自然権」として認められるという議論に基づいている。つまり、憲法9条に照らしてどうかという以前に、人間が本来的に持っている権利として、国家が身を守るための手段、すなわち自衛権は認められるという立場なのだ。正式には「自衛のための必要最小限度の実力」という言葉を使っている。

そして、現行憲法は前文や第13条で、国民の平和的生存権や幸福追求権を認めている。そうであれば、自衛隊はこうした国民の権利を守るための存在として、認められるというわけである(参考:防衛省ウェブサイト)。
 

登場すべきは国際政治や軍事の専門家

「必要最小限度の実力」が「自然権」を根拠として認められているならば、この「最小限度」がどこまでなのかは、日本を取り巻く安全保障の状況を見て、柔軟に判断していくことが可能となる。時の政府の都合で判断をコロコロと変えることは許されないとしても、国民を守るためにどの程度の防衛力が必要なのかは、時代とともに変化していくからだ。今回は、国際情勢に照らして、集団的自衛権が日本の防衛にとって必要と判断されるため、政府はそのための法整備を目指しているというわけだ。

こうして考えてみると、安保法案をめぐる議論は、本来なら、国民の安全を守るためにどの程度の防衛力が必要なのかという筋で行われるべきものだと分かる。そうであれば、憲法学者も憲法9条も、この議論の本筋ではないことも明確だ。マスコミが積極的に話を聞きに行くべきなのは、憲法学者ではなく、国際政治や軍事の専門家なのだ。
 

”レッテル貼り”の新たな犠牲者

一方で、政府が提出した今回の法案は、憲法が政府を縛るという「立憲主義」に照らして「違憲」という意見も出ている(ダジャレではない)。憲法9条を壊すような憲法解釈をするのは、政府の暴走を招くという議論だ。しかし前述の通り、今回の議論は、前文や憲法13条に書かれている国民の権利を守るために、「最低限度の実力」の範囲をどこに設定するかという問題である。それを考えれば、「立憲主義の破壊」という主張は、単なる”レッテル貼り”のように聞こえてならない。

つい最近、この”レッテル貼り”の犠牲者になったのが、礒崎陽輔・首相補佐官だろう。

安保法案について、講演で「法的安定性は関係ない」と発言したとして、礒崎氏は野党やマスコミからの批判を浴びている。確かに、礒崎氏が「時の政府の判断で、憲法はいくらでも拡大解釈できる」と堂々と述べたというのなら、これは問題発言だろう。しかし、発言内容をよく読むと、その真意は先ほど述べた「『最低限度の実力』の線引きをどこで行うか」という話だったことが分かる。

政府はずっと、必要最小限度という基準で自衛権を見てきた。時代が変わったから、集団的自衛権でも我が国を守るためのものだったら良いんじゃないかと(政府は)提案している。考えないといけないのは、我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ない。我が国を守るために必要なことを、日本国憲法がダメだと言うことはありえない。
(朝日新聞デジタル 「憲法解釈変更『法的安定性は無関係』 礒崎首相補佐官」 2015/07/26)

ここで礒崎氏が述べているのは、「政府はずっと、必要最小限度という基準で自衛権を見てきた」ということ。そして、その「必要最小限度」がどこまでなのかを見極めて適切に線引きすることを、憲法9条さえも禁じていないということである。

この発言を「法的安定性は関係ない」という部分だけを切り取って報じてしえば、真意が間違って伝わってしまう。以前、衆院での審議中に、中谷元・防衛相が「今回の法案に憲法を当てはめるには」と発言して、問題となったことがある。しかし、今回はマスコミが「『政府が立憲主義を破壊しようとしている』という筋書きに、今回の礒崎発言を当てはめるには」と考えていた節がないだろうか。そうだとすれば、礒崎氏をやり玉に挙げた編集方針こそが問題ではないだろうか。
 

「最低限度の実力」を問うフェアな報道を

「違憲」という言葉ばかりが独り歩きしたことで、今回の法案は「平和主義」をないがしろにするもので、憲法9条の条文に照らして違憲なのではないかというイメージが拡散している。しかし、憲法9条を持ち出し、「戦争法案は違憲」と叫ぶのは、間違った物差しを使った議論だと言える。憲法9条が問題なら、冒頭の朝日新聞の調査から明らかなように、まずは自衛隊の存在についての議論から行う必要があるからだ。

そして、もしマスコミの側がそれを知りながら、憲法学者を連れてきて「違憲」と言わせているのならば、その罪は大きいだろう。

せめてもの良心として、憲法学者を登場させる際には、その学者が自衛隊についても違憲と考えているかどうかは最低でも紹介する必要がある。そして、違憲論を真っ向から取り上げたいならば、自衛隊の是非から議論を始める必要がある。そうでなければ、今回の法案についての議論は、参院で何百時間、審議したところで、どこまでいってもかみ合わないことだろう。

もし今回の法案が、もはや枕詞となっている「延長国会の最大の焦点」「戦後日本のターニングポイント」だと本当に思っているのならば、マスコミの仕事は「違憲」と言ってくれる憲法学者を探したり、政治家の言葉じりを必死でとらえたり、労組の旗が堂々とはためく中で行われている”一般市民”によるデモの様子を延々と放映することではないだろう。

それは、日本の安全のために必要な「必要最低限度の実力」がどこまでなのかを、主権者である国民が考えられるよう、フェアな報道を心がけることである。そうであってこそ、国民の「知る権利」に応える社会の公器としての役割を果たすことになるのではないのだろうか。

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