2015/08/18    07:00

議論していること自体がナンセンス? 「外からの目」で考える安保法案

安全保障関連法案をめぐって、今週中にも参議院の特別委員会での審議を再開するかどうかで、与野党が協議している。この法案をめぐっては、憲法学者が「違憲」と証言したことを受けて、マスコミや野党が勢いづき、憲法をめぐる問題が議論の焦点となっている。

憲法9条を持ち出して「違憲は明白」などとテレビなどで繰り返し報じられていることで、世論調査でも法案への逆風が吹いていることが明確になっている。一方で、現在の憲法は戦争放棄や戦力の不保持を定めていながら、自衛隊は合憲とされている。それは、国民の安全や幸福な生活を守るための自衛の権利は、憲法が定めているかどうか以前に、自然権として認められるという議論からきているものだ。

そもそも、国が持っていて当たり前の自衛権を、個別的か集団的かで分けて細かく議論すること自体が、日本独特の議論であると言える。政府はこれまで、集団的自衛権は「持っているが行使できない」という、不可解なロジックで認めてこなかった。こうしたことが、世界的な基準から見てどうなのかという視点からの議論も必要だろう。

そうした点について、面白い論考を見つけたので紹介してみたい。テンプル大学・現代アジア学研究所のロバート・デュジャリック所長が、アジア太平洋の安全保障専門誌「ザ・ディプロマット」への7月24日付の寄稿で次のように述べ、安保法案の議論のおかしさについて論じている。

これらの改革の最も驚くべき点は、そもそもこれらが法制化されなければいけないことである。政治的な方針にかかわらず、他の国は、敵に爆撃されて戦闘が始まるのを、兵士や水兵、パイロットが待つ必要はない。(中略)

外から見ている者からすれば、議論はシュールに見える。法案の合憲性について意見を述べるために、学者が連れてこられる。しかし、憲法を読み、戦車や戦闘機、駆逐艦、潜水艦を持つ自衛隊を見れば、憲法9条がすでに60年前に骨抜きになり、憲法史のゴミ箱に移されていると、誰もが分かる。提出された法案を違憲だと批判するのは、とっくに死んでいる死体を撃ったとして、ガンマンを起訴するようなものである。行為自体は反対すべきものかもしれないが、殺人ではない。
(Robert Dujarric “Preliminary Lessons From Japan’s Security Debate” The Diplomat 2015/07/24)

野党は「専守防衛」を誇らしげに掲げ、「日本は先に手を出さない戦わない国」なのだとしきりに主張している。しかし、「先に手を出さない」ということの意味は、国民が殺されたり、被害を受けてからでなければ、何もしないということと同義でもある。こうした議論を、「国民の命が大事だ」と主張している国会議員が真顔でしていることは、果たして健全なのだろうか。彼らのスローガンに惑わされることなく、考えていくことが必要ではないのだろうか。

「平和国家としての日本は軍事に関わるべきではない」という「国柄論」が、野党側からしきりに提起されている。だが、そもそも、安全保障は相手がある話であり、国際社会の状況を考えなければ議論できない問題である。村山富市・元首相は先日のテレビ出演の中で「日本が戦争をしないと言っているのに、日本に勝手に攻め込んでくることはあり得ない」と発言したが、それに対して、石原慎太郎・元東京都知事が「ナンセンスだね。止めてもらえないか、こんなバカな議論は」と切り返す場面があった。

憲法を持ち出したり、「日本の国柄はどうか」という議論ばかりを続けているだけでは、何百時間を審議にあてても、見えてこない視点もある。日本国内での議論が、そもそもナンセンスということはないのかという「そもそも論」の視点も、忘れないようにしたい。

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