2015/03/03    13:00

幕末からの日本の危機感―大東亜戦争へ ①東亜百年戦争

作家の林房雄氏の名著『大東亜戦争肯定論』では、幕末の外国船の出現から大東亜戦争終結までを「東亜百年戦争」と位置付けました。

欧米白人国家の侵略の魔の手は、18世紀半ばからロシアの南下という形で鎖国中の日本に及びはじめました。ロシアの南下が日本の北辺に及ぼす脅威を痛感した仙台藩士の林子平は「海国兵談」を著し、海防の急務を説きました。しかし、林は老中松平定信により民心を惑わしたとして処罰されてしまいました。一方で、幕府も探検隊を派遣して北辺調査を行い、伊能忠敬に蝦夷地を測量させ、さらに松前奉行により蝦夷地を幕府直轄領としました。1808年、間宮林蔵は、樺太から沿海州までを探検し、間宮海峡を発見するなど日本(幕府)にも海防意識が芽生えてきました。

19世紀半ばのアヘン戦争で「東洋の眠れる獅子」清がイギリスに破れると、幕府は接近する外国船に対して、従来の砲撃により打ち払う(異国船打ち払い令)方針を改め、食料・水や燃料を与え立ち去ってもらう(薪水給与令)方針に変更しました。ちょうどこの頃は大東亜戦争敗戦のほぼ百年前になります。林房雄氏はこの頃から欧米との戦い、即ち「東亜百年戦争」が始まり、それに対応するための日本国内の体制転換が明治維新であると位置づけます。この「東亜百年戦争」は歴史の必然であり、アジア、アフリカ、南アメリカ諸国などのように白人国家の植民地となり、奴隷となることを避けるためには、幕末の動乱から始まる明治維新から大東亜戦争までを戦わざるを得なかったのが日本の宿命であったと考えられています。

1853年のペリー来航より以前に、イギリス、ロシア、オランダが日本に通商要求や開国要求をしています。幕府は、長崎出島にて通商を許可していたオランダからの情報で、清をはじめアジアの実情を把握していましたし、事前にペリー来航も知っていたといわれます。世界情勢を知るほどに日本の将来が不安視されたことは想像に難くありません。

また、平間洋一 著『イズムから見た日本の戦争』(錦正社・2014)によれば、ペリーの対日開国要求は黒人奴隷解放の兆しがある中で、その代替として中国人苦力(クーリー)を獲得するための基地として利用する意図もあったとしています。

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