2014/10/07    00:40

言われて久しい「グローバル化」

近年経済のグローバル化は、国際社会でのコミュニケーション能力を養うことを推進する働きを盛んにしました。英語を公用語にするユニクロや楽天などの企業のみならず、学校教育も2011年より小学生からのエゴ授業が必修化され、今や子供英語教室は大盛況な成長分野です。このように英語運用能力の強化が謳われる現代社会では、世界公用語、共通言語である英語の使い手にならないとグローバル人材にはなれないといった印象を受けてしまいます。果たしてそうなのでしょうか。日本人におけるグローバルな視点の獲得と教育とは何かについて私なりに考えたいと思います。


先日、文科省で37大学が選定されました「スーパーグローバル大学創成支援」は、日本の高等教育の国際競争力を強化することを目的とし、世界水準の大学制度や体制のもと、多様な場でグローバルに活躍できる人材の育成に重点を置いています。選定された大学のうち、「世界の大学ランキングで100位を目指す」という「トップ型」は13校。残り24校は「グローバル化牽引型」とし、例えば17歳での飛び入学や卒業までに3回留学するプログラムなどの提案に見られるような新しい試みに挑戦していることが分かります。


しかし、この働きは日本の国際教育水準を平均化する働きとは異なり、学力中間層の点数を5点上げるよりも、90点取れる5%の学力上位層に限定して世界に通用するエリートを育成・教育していく試みだともいえます。このように上位層の中でも特徴的な差異を生じさせ、それらを明確にすることで更なる学力格差をもたらすといったデメリットが考えられます。反面、イノベーション推進や国際力の強化・成長のメリットも考えられますので、これら両者の間には絶妙なバランスが存在しているといえます。当然のことながらグローバル化がもたらす格差の問題は国によって異なります。例えば、教育体制が整備されていない識字率の低い国では貧困、飢餓など、世界でも大きな社会問題となっているのが現状です。富める国は豊かさの還元として、学校建設に協力したりすることにより、世界的に善の循環が行われていますが、まだまだ充分ではありません。


皮肉なことに世帯収入の格差はそのまま教育水準と格差比例しているといえます。教育投資が出来るか出来ないか、教育投資費に比例して学歴が比例しており、こう偏差値の学生の家計は高収入に比例しているというデータもあります。現実のところ、学校別の偏差値も然り、企業においても教育投資が出来ている会社とそうでない会社の盛衰は明らかであります。経営理念がある会社とない会社では、利益水準が1.7倍も違うというデータがありますが、これは経営理念があり、教育方針のもと教育投資され、教育理念に準じて社内教育投資を受けた者が高い生産性を生み出し、労働環境が向上し、結果として利益や富が形成され、好循環を生み続けることが出来るということです。このことから分かりますように、富の再投資は教育に向けることが最も高い投資効果を得ることが出来、それは家庭や企業のみならず日本国家においても当てはめることが出来るといえるのではないでしょうか。


ここで話は変わりますが、英語が日本語を破壊していき、気づかぬうちに日本人のアイデンティティが失われ、グローバリゼーションという名の侵略が始まっていると私は感じています。日本は西洋文化と東洋文化の融合からイノベーションや改善を生みました。世界最高水準のものづくり技術と工業製品(Made In Japan)は、日本の知恵や叡智、教育水準の高さから生み出されたものです。


戦後の焼け野原の後、経済大国世界第2位まで上り詰めたというのは世界的に見ても例がなく、その「東洋の奇跡」とも言われる短期間での高度経済成長を支えた精神は、日本人が古来より持ち合わせている勤勉さ、誠実さ、真摯さ、優雅さが世界的に通用するという証明にもなるのではないかと思います。日本人の持つアイデンティティは世界に認められるものであるという誇りを取り戻すことが今の私たちには必要なんではないでしょうか(Made By Japan)。


バブル崩壊以降の「失われた20年」。経済成長を失った日本は、どことなく自信を失い、学校及び企業、そして家庭の教育投資が疎かとなり、少子高齢化、核家族化により、倫理やしつけ、祖父母の生きた知恵の子供たちへの継承が薄くなり、倫理観や教育理念、愛国心、自尊心の薄れた教育環境は中間意識を増大させ、富める者に対する嫉妬心や甘え、世界的水準から立ち遅れてしまうといった問題の要因となっていると思います。


皆さんもご存知であります福沢諭吉の『学問のススメ』には、「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ 人ノ下ニ人ヲ造ラズ」「賢人ト愚人トノ別ハ、学ブト学バザルトニ因ッテ出来ルモノナリ」と冒頭にありますが、この解釈について私は、「学びに対する機会の平等さは公平で公正なるものである。学ぶ者はより富めるし、学ばざる者はより貧する。」と理解しております。


つまり、結果は不平等です。学ぶか、学ばざるかの違いのみである福沢諭吉は考察しています。何事も学ぶことが第一歩です。富める組織は学ぶ組織。家庭も企業も国家も然りといえます。「一身独立して一国独立す」という表現がありますように、国民の一人ひとりが自立し、知恵を得ることが国家の近代化と繁栄をもたらすものと考えられたのではないかと思います。個人の自立のためには何よりも教育が不可欠だということです。


実業家そして教育者としての福沢諭吉の鋭い時代考察から、格差社会の本質を見抜いた視点が伺えます。理念ある家庭教育、理念ある学校教育、理念ある会社経営。そのために経済活動を通じ、世の中により富める者の好循環を生むことで、豊かな文化的社会の構築に貢献することが事業家の社会的役割、責任、そして使命であると考えます。


日本語には文字一つひとつに意味を持つ表意文字と呼ばれる漢字があります。ひらがなや英語のアルファベットは文字に音素がある表音文字ですから個々には意味がありません。日本語は言葉の発言を用いてはっきり言わなくても意味が想像できる言語なのです。その行間にも漂う、強くそして秘めたる精神性。そのゆおな日本人魂を発揮できるコミュニケーション能力や裏付けされる知性や教養がグローバル人材育成の肝ともいえるのではないでしょうか。日本のアイデンティティそのものが国境を越え輸出されること、それが日本における真のグローバル化であると私は考えています。


「学問のススメ」は私たち人間に学ぶか?学ばざるか?その本日は時代を超えても現代社会に気づきと警鐘を与えてくれているといえるでしょう。万札券の福沢諭吉の肖像写真は忘れかけた日本人の大切にするものをお財布の中から呼びかけてくれています。お財布から一万円を出すたびに「学問のススメ」の精神を思い出せば、再び「諭吉さま」が舞い戻ってきてくれることになるではないか…と考えます。またお目に書かれますように…。

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