2016/04/30    10:50

ハンセン病特別法廷、最高裁が謝罪――民主社会にとって、もっとも重要なものは何か

ハンセン病患者が当事者となった刑事裁判などが、裁判所外の「特別法廷」で開かれていた問題について、最高裁はこのほど、調査報告書を公表し、正式に謝罪した。特別法廷は隔離された療養施設などに設けられており、憲法が定める「法の下の平等」や「裁判の公開」に反する恐れがあった。
 
最高裁は違憲性を認めはしなかったものの、特別法廷の措置が「社会の偏見や差別の助長につながった。患者の人格と尊厳を傷つけたことを深く反省し、お詫びする」と謝罪した。ハンセン病患者が当事者であることを理由とした特別法廷は、熊本地裁が2001年の判決で患者の隔離措置の必要性が失われたと判断した1960年以降も、続けられていた。
 
特定の病気を理由に公開裁判を受けられなかったとすれば、それは「法の下の平等」に反することであり、最高裁が正式に謝罪したことは評価される。
 
一方で興味深いのは、今回の報告書が、特別法廷が開かれていた背景について述べている部分だ。報告書は、「当時採られていたハンセン病患者に対する施設入所政策が、多くの患者の人権に対する大きな制限・制約になった」と指摘。その上で、「その背景として、一般社会において極めて厳しい偏見、差別が存在していたことは明らかであるところ」として、一般社会における差別的な風潮が、特別法廷の措置が続けられた背景の理由だったと認めた。
 
ここで考えたいのは、「立憲主義」についてである。昨年、内閣の憲法解釈によって集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法案の審議をめぐって、この言葉を叫ぶ声が大きくなった。最高法規である憲法は政府を縛るためにあるのであって、その解釈を一内閣の判断で勝手に変更することは許されないという趣旨だった。法案の議論を通じて、政府の一部局である内閣法制局を、本来なら最高裁に対して使われる「法の番人」という美称を使って持ち上げた一部メディアもあった。
 
憲法は尊重すべきものであることは確かだが、「立憲主義」を主張する側が見落としているのは、いかに完璧と思われる憲法や法令をつくったところで、人間がつくったものには、必ず欠陥があるものだということだ。それは、法律そのものと、その運用の両方に当てはまる。今回の特別法廷の問題で明らかになったように、「法の番人」と言われる最高裁ですら、社会一般の風潮に逆らえずに、後から検証すれば誤りと分かる間違いを犯すこともある。
 
いくら法治主義を実現したところで、民主社会は時にソクラテスを処刑することもある。だから憲法や法令、その運用を向上させていくこと以上に、いかに良識ある社会をつくっていくかということの方が、より多くの熱意を傾けて取り組んでいくべき重要な課題である。民主的な社会をつくる上で、憲法や法律の果たす役割は大きいが、それ以上に重要なのが人間の良識である。「法の番人」の過ちから、そのことを学びたい。

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